どちらも同じ美である。私の求める焼物は用と美。民芸・伝統と区別する物ではなく用をそなえた美なのである。作家の造る物は生活に結びつくことは難しいが、生活を楽しむ一つの要素に成り得る。遊び心を持って器を造ることで、その器の役目が生活の道具から生活の潤滑油へと変わってくる。そして私の造る焼物が生活を楽しむ器になることを望んでいる。 今回、陶芸展から遊心展と変えたのも、二十一回目の個展を機に器の持つ意味をもう一度考えて、みたいと思っている。父からもらった“遊心”を窯名の遊心窯といってから六年になるが、父が言う遊心が、やっと少し分ったような気がする。今回の遊心展に相応しい志野を焼き上げることが出来た。五年前に偶然一つ出来た紫の志野が頭から離れず、その紫を求めて志野を焼いてきた。その志野を紫炎志野と銘名し遊心展に発表することが出来てとても嬉しく思う。遊び心がなくして紫炎志野を焼き上げる事は出来なかったように思う。“遊心”をくれた父に感謝している。 平成十年十一月吉日 松崎 健 |
||||||||
| 【表紙】【1】【2】【3】【4】【5】【6】【7】【8】 【9】【10】【11】【12】【13】【14】【15】【16】【17】 |
|---|